東京高等裁判所 昭和40年(ネ)2496号 判決 1966年7月30日
控訴人(被申請人) 長野電鉄株式会社
被控訴人(申請人) 駒津茂春
主文
原判決を取消す。
被控訴人の申請を却下する。
訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張および疎明の関係は、以下に付加するほかは、原判決事実欄に記載されてあるとおりであるから、これを引用する。(ただし、原判決五枚目表九行目の「同第四号証」は「同第三号証」の、同じく一〇行目から一一行目にかけての「同第三号証」は「同第四号証」の各誤記と認める。)
(控訴代理人の主張)
一、被控訴人は妻子ある身であり分別ある年令にありながら、運転士として同じ職場の女子車掌勝山英子と勤務を共にしたことより同女に特殊の関心を寄せ、昭和三九年一月頃から同年一二月頃までの間、勤務時間後に待伏せしては思慮分別の乏しい同女と情交を重ねた挙句これを妊娠させ、同女をして中絶手術を受けさせ控訴会社を退職するの余儀なきに至らしめたほか、同一職場の他の数名の年少女子との間にも不純な関係を結び、しかもこれら未成年女子に接するにあたつては、古参運転士の新参車掌に対する心理的優越性を利用し極めて悪辣な手段を用いていた。
かように被用者たる未成年女子の純潔が悪質な男子従業員によつて侵されたときまたは侵されるおそれのあるとき、雇用主としてはこれを当人らの私事として放任することは許されず、職場規律の問題として対処し、侵害者を排除し被害者および他の未成年女子を保護すべき責務を負わされているのであつて、この点だけからみても、被控訴人の前記所業は、単なる職場を離れた私生活上の非行にとどまるものではない。
とりわけ控訴会社は、その事業の性質上車掌として中、高等学校卒業直後の若年の女子従業員を多数雇傭し男子運転士と同一職場に勤務させているため、常々職場における風紀維持にはすくなからず痛心し配慮している。女子車掌と男子運転士とは同じ乗合自動車に乗務し、長距離路線の定期バス乗務の場合には起点、終点において宿泊を共にする機会が多く、観光バス乗務の場合には共同宿泊を避けえない状況にあるため、男女間の風紀問題が発生し易く、これを放置するときは職場の風紀秩序が紊れるばかりでなく、不正行為の誘因ともなり、また一般乗客にも不快な印象を与え、業務運営上重大な支障を及ぼすに至る虞れがある。殊に最近は女子車掌の応募者が減少の一途を辿つていることから、かような風紀問題の発生によつて未婚の女子を安心して預けうる職場ではないという世評が立てば、それこそ企業の死活にもかゝわる重大事態に立ち至るので、控訴会社は近年運転士と車掌との間の風紀問題には特に厳しい態度をもつて臨み、非行のあつた運転士は退職させ企業外に放逐しているのである。
したがつて被控訴人の本件非行は控訴会社の就業規則第九七条第四号(破廉恥罪を犯し、素行不良で会社の風紀、秩序を紊した者。)および第一四号(その他前各号に準ずる不都合な行為があつた者。)に該当し、本来被控訴人は右各号により懲戒解雇されてもやむをえなかつたのである。
二、(1) ところで、控訴会社は、昭和四〇年五月一三日開催された人事委員会の意見を尊重し、まず被控訴人に退職を勧告し、これに応じないときには同年五月三一日限りで被控訴人を解雇処分に付する旨決定したうえ、同月一四日被控訴人にその旨通知して辞職すべき旨勧告した。しかるに被控訴人がこれに応じなかつたので、控訴会社は同月二六日退職願の提出がないならばさきに決定したとおり解雇するほかないので同月一杯で辞めて貰う旨被控訴人に通告して、被控訴人を同月三一日限り解雇し、同日付退職辞令を同年六月二七日被控訴人に送付した。
このように控訴会社は懲戒事由該当者たる被控訴人に対しなるべく任意退職の形をとるよう勧告して退職せしめたものであり、右は就業規則第九五条所定の懲戒の一種たる諭旨退職に該当する(同条第六号には「諭旨退職は、不都合の行為をさとして、辞職を勧告する。」と規定されているが、諭旨退職は右の勧告をするだけにとどまるものではなく、これに応じない被勧告者を退職させる懲戒処分である。)ところ、控訴会社と被控訴人の所属する長野電鉄労働組合との間で締結された労働協約の解雇条項たる第二八条第一号が諭旨退職の場合をも含んでいることは同号の「懲戒により解雇処分をされたとき。」という規定の仕方よりみて明白であるから、控訴会社の右解雇処分は就業規則第九七条第四号協約第二八条第一号にしたがつてなされたものとして有効である。
(2) 仮に右解雇が諭旨退職にあたらないとしても、被控訴人は本来懲戒解雇処分に付されるべきところ、控訴会社は特に本人およびその家族の将来のために通常解雇に付したのであつて、重い懲戒解雇をなしうる場合同一事由にもとづき通常解雇が許されないという道理はない。それ故控訴会社は協約第二八条第一号の趣旨に則り通常解雇の方法により被控訴人を有効に解雇したものである。そしてこの処置は前記人事委員会に出席した組合の代表者によつて了承され、その後同年六月二八日開かれた組合の中央委員会でも承認されたのであるから、このような取扱は協約当事者である労使双方の意思に合致する。
(3) 仮に右(2)の主張も理由がないとしても、被控訴人の本件非行は協約第二八条第五号の場合に該当する。同号は、就業規則第九七条第四号と用語上多少異なるところがあつても、これとは別異の意味を有するものでなく、「破廉恥罪を犯し、素行不良で会社の風紀、秩序を紊した者」(就業規則第九七条第四号)は多かれ少かれ「会社の体面を汚し損害を与えた」(協約第二八条第五号)者であるということができるので、両者は全く同一の範疇に属するものとしか考えられない。
仮に協約第二八条第五号は、就業規則第九七条第四号と異なり、職場外の社会生活において社会一般の風紀秩序を乱し、その結果会社の信用を傷つけ、会社に損害を与えたときを指すものとしても、被控訴人の本件非行はまさにそれに該当する。同号に「会社の体面を汚し、損害を与えたとき」とあるのは、そのいずれか一方の要件が充たされれば足りるという趣旨であるのみならず、被控訴人の本件非行により、控訴会社の女子車掌募集にあたり学校担当教諭から車掌および運転士間の風紀問題が指摘され困難を来たした事実等控訴会社がその信用を傷つけられ、かつ損害を受けたことは明らかである。
(4) 仮に右(3)の主張が認められないとしても、本件解雇は協約第二八条第八号(その他組合と協議した場合)によつてなされたものであつて、有効である。
けだし、人事委員会は、組合、会社双方の委員によつて構成され、しかも組合側委員は執行委員長以下いずれも組合側の選出したものよりなる点において、いわば、組合と会社との協議の場とみることができるところ、昭和四〇年五月一三日開催された右委員会において本件非行が付議審理された結果協議が整いその趣旨に副つて本件解雇がなされたのであつて、しかもその後組合の中央委員会においても被控訴人解雇の件が付議承認されているからである。
三、控訴会社は被控訴人の解雇に伴い三〇日分の予告手当金二七、六九六円のほか退職金八二、〇〇〇円を支払うこととしたが、被控訴人が受領しないので昭和四〇年七月一日長野地方法務局にこれを供託した。
(被控訴代理人の主張)
一、控訴人の前記一の主張について
被控訴人は勝山英子との間に昭和三九年一月頃から同年七月頃までに数回情交関係を結んだことはあるも、同女を妊娠させたことはなく、また他の数人の女子車掌と不純な関係を結んだ事実など全く存しないのに控訴会社が軽々しくこれら理由のもとに、被控訴人を解雇処分に付したのは、その前提事実に重大な誤りがあり、無効である。
控訴会社における女子従業員の労働条件は、その保護の点において不当かつ劣悪である。また女子従業員がその勤務上男子従業員とともに外泊する場合には、男子の側のみならず女子自身の極めて自覚的自律的な態度の保持を必要とするのであつて、これなくしては到底男女間の風紀問題の発生を防止しえない。しかるに勝山英子は平素より服装化粧が他とかけはなれて派手で人目をひき、飲酒時には心身の自由を失う程に泥酔し、男子従業員と大胆放恣ともいうべき交際を行なつて来たものであつて、かような事実は、被控訴人に対する解雇処分の是非を判断するにあたつて当然斟酌されるべきである。被控訴人が年長の男子であるとの一事により被控訴人にのみ一切の責を負わせて企業より放逐することは許されない。
二、(1) 控訴人の前記二、(1)および(2)の主張に対して
控訴会社と労働組合との間においては労働協約第二八条により解雇に関する基準が具体的に協定されているのであるから、就業規則第九七条に懲戒解雇の事由を規定し、殊にその第四号に協約第二八条第五号の文詞と類似する規定を設けていても、解雇に関する限り労働協約に準拠してなされるべきである。従つて就業規則第九七条第四号または第一四号の適用される余地は全くない。協約第二八条第一号は本来無意味もしくは無効な規定であるが、仮令これを有意義に解するとしてもそれは、協約に規定がなくて就業規則にのみ規定した解雇事由にもとづいて懲戒解雇が成立した場合に限らるべきである。
さらに、就業規則第九七条第四号は当該従業員が破廉恥罪を犯しかつ素行不良であることを前提とするものであるところ、被控訴人が破廉恥罪を犯した者に該当しないことは明らかであるから、被控訴人の所為は同号の解雇事由に該当しない。
(2) 控訴人の前記二、(4)の主張に対して
協約第二八条第八号は、同条第一号ないし第七号に該当する事実は存しないが、協約の予定しない不測の事態が発生し、これを解雇事由とするのが相当であると労使双方で認めうる特殊例外的な場合のための規定である。すなわち、同号は同条第一号ないし第七号と重畳的に適用しうる条項ではない。それ故、同一事実関係を前提としつつ、被控訴人の解雇事由が同条第五号に該当しないとすれば仮定的に同条第八号に該当するという控訴人の主張は本来成り立ちえない。
仮に右の主張自体は成り立ちうるとしても、従前より控訴会社は協約第二八条第五号にもとづいて被控訴人を解雇したと主張しているのであるから、手続上人事委員会に諮問したからといつて、それは同条第八号によつたものではない。また右人事委員会においては協約第二八条第八号に該当する解雇事由の存否につき協議した事実はない。その後同年六月二八日組合の中央委員会によつて被控訴人に対する解雇処分が承認された旨の控訴人主張事実は知らないが、仮にその承認があつたとしても、かような後日における承認によつて解雇を有効とすることは協約上認められていない。
三、解雇予告手当並に退職金の供託に関する事実は認める。
(疎明省略)
理由
一、控訴会社が肩書住所地に本社をおき、地方鉄道業、自動車運送業等を営む株式会社であり、被控訴人が昭和三三年三月七日控訴会社に期間の定めなく雇傭され、翌三四年四月一日以降その自動車部営業課須坂営業区に所属し乗合自動車の運転士として勤務して来たところ、昭和四〇年六月二七日控訴会社より被控訴人に対し同年五月三一日付退職辞令が送達されたことは当事者間に争がない。
二、そこで右退職辞令送達に至るまでの経緯について検討するに、いずれも成立に争のない乙第二、第五、第六、第九、第一二、第一三、第一四、第一七、第一八号証、甲第五号証の一ないし三、同第一七、第一九号証、原審証人宮崎博道の証言により真正に成立したものと認められる乙第一、第三、第四、第八、第一〇号証(ただし乙第四号証中の「懲戒について」のうちの処分欄記載部分を除く爾余の部分については成立に争がない。)、当審証人高橋栄治の証言により真正に成立したものと認められる乙第七、第一五号証、当審証人勝山政海の証言により真正に成立したものと認められる乙第一一号証の一、二、弁論の全趣旨により真正の成立を認めうる乙第一六号証、当審証人高橋栄治、同笠井恒雄(一部)、同勝山政海、同田中健治の各証言ならびに弁論の全趣旨を綜合すると、原判決理由、二、(1)ないし(4)(原判決六枚目表三行目から八枚目表一〇行目までの部分)(注、例集一六巻五号七五二ページ一行目から七五三ページ一二行目)において原審の認定したところと同一の事実(ただし右二、(3)については左記(イ)(ロ)のとおり補充訂正する。)を一応認めうるので、右同一認定部分につき原判決の説示を引用する。
(イ) 会社(控訴会社)の人事関係担当者らは、昭和四〇年三月三日須坂営業区の現場責任者より勝山英子の妊娠中絶の報を受け早速事情を調査せしめたところ、同月五日被控訴人は須坂営業区長に対し同女と関係のあつた事実を認めて謝罪の意を表明し、また右営業区長その他の現場責任者等においてその頃同女の父勝山政海、被控訴人の妻駒津都、その他同僚等について原判決認定(2)の事実の存することを確かめえたため、会社側は右事実関係について確信を抱き、被控訴人の右所為は就業規則第九七条第四号および第一四号に該当する故これを懲戒解雇に処すべきものと考え、同年五月一三日労働協約第二〇条人事委員会規程により人事委員会を招集し、被控訴人の懲戒解雇の件について諮問した。会社側委員七名、労働組合側役員三名を含む委員七名合計一四名より構成されている右委員会は、全員出席のうえ協議した結果、本件非行が女子従業員の就業に及ぼす悪影響を考慮し職場の風紀を維持する必要上被控訴人を解雇するのはやむをえないが、本人およびその家族の将来を斟酌し懲戒解雇処分を避けて通常解雇処分とする、ただしこれにさきだつて被控訴人に対し依願退職の方法をとるよう勧告し、この勧告に応じないとき解雇すべき旨決議した。
そこで会社はこの決議の趣旨に則り、被控訴人に対し同年五月末日までに依願退職の方法をとるよう勧告し、これに応じないときは協約第二八条第五号により同日をもつて被控訴人を通常解雇に処すべき旨決定し、同年五月一四日須坂営業区長を通じてこの旨を被控訴人に伝えるとともに直ちに退職願を提出するよう勧告し、五月一杯賃金を支払うが六月からは出勤するに及ばない、即ち退職願を提出しなければ五月末日限りで解雇する旨を申し渡した。
(ロ) 原判決六枚目表一〇行目から一一行目にかけて(注、同上七五二ページ三行目)「高等学校卒業直後の」とあるのを「中学校または高等学校卒業直後の」と、同じく六枚目裏二行目から三行目にかけて(注、同上ページ五行目)「地元高等学校の」とあるのを「地元の中学校および高等学校の」とそれぞれ訂正する。
以上の認定に反する疎明はすべて採用しない。
右認定事実によれば、控訴会社は労働協約の規定にしたがい、被控訴人の解雇について人事委員会に諮問したうえ協約第二八条第五号により通常解雇に付する旨決定し、被控訴人に対し昭和四〇年五月三一日限り解雇する旨の意思表示をしたことが明らかである。
控訴人は、(1)被控訴人を就業規則第九五条第六号所定の諭旨退職に付したのであり、それは就業規則第九七条第四号、協約第二八条第一号により有効である、(2)仮に諭旨退職に付したのではないとしても、被控訴人を本来懲戒解雇に付すべきところを通常解雇に処したのであつて、右は協約第二八条第一号により有効である旨主張する。
しかし、控訴会社は当初被控訴人を懲戒解雇に付すべきものと考えたものの、人事委員会の意見を尊重して通常解雇処分をとることに変更しこれを実行したこと叙上のとおりであつて、懲戒の一種たる諭旨退職の処分をとらなかつたことが明らかであるから、(1)の主張は失当である。
就業規則は労働協約の労働条件その他労働者の待遇に関する規範的部分に反してはならず(なお協約第九条に、この協約は就業規則その他従業員に関する諸規程に優先する、と規定されてある。)、協約第二八条には解雇事由が具体的に定められているのであるから、就業規則第一九条の解雇事由の規定にかゝわりなく、控訴会社は協約第二八条各号の一に該当する事由がある場合に限つて、従業員を解雇することができる。他面就業規則にはその第一〇章に懲戒に関する諸規定が設けられ、その第三節冒頭の第九七条に同条各号の一に該当する事由があるときは懲戒処分たる降職、諭旨退職または懲戒解雇に処する旨規定されているとともに、協約中には懲戒について第一七条(会社は従業員の……解雇……懲戒……について組合と協議して決める。)、第三六条(会社が従業員を賞罰するについては、組合と協議して定める表彰・懲戒規程に基づいて行う。)、第一〇二条(次の各号の一に該当する者に対しては、その当日の勤務を禁じ、懲戒処分を行う。一、……二、……三、……四、……)の各規定が存するのみで、しかも第三六条の懲戒規程は未だに制定されていず(当審証人笠井恒雄証言)、解雇規定たる第二八条の第一号に「懲戒により解雇処分をされたとき。」と規定されているのみであるから、これと同条の他の各号とを対比するとき、同条第一号において控訴会社が就業規則第九七条の規定にしたがい懲戒による解雇処分をなしうることが確認されているとともに、同条第二号ないし第八号において通常解雇の事由が定められているものと解される。すなわち、控訴会社は協約第二八条第一号、就業規則第九七条により懲戒による解雇処分をなしうるとともに、協約第二八条第二号ないし第八号により通常解雇をなしうるものと解する。そして協約第二八条第四号、第五号および第六号には就業規則第九七条第三号、第四号および第一号の各規定と同一ないし類似の内容が規定されているが、後者は解雇以外の降職または諭旨退職等の懲戒事由たる場合をも含んでおり、かつ、懲戒解雇事由に該当する場合においても事情を勘案して懲戒解雇に処することなく、同一の事由を通常解雇事由と定めた協約の当該条項にもとづいて通常解雇に付することは、もとより妨げないところと解すべきであり、この点は控訴人主張のとおりであるが、既に控訴会社が通常解雇の処置を択んだ以上、その経緯の如何を問わず、これをもつて協約第二八条第一号の「懲戒により解雇処分をされたとき」とある条項によつたものといいえないことは明らかである。
三、前記二の冒頭掲記の各証拠(ただし以下認定に直接関係ないものを除く)によれば、控訴会社の営むバス事業は、バス運行の安全、正確、利便および利用者たる乗客のこれによせる信頼、好感等の程度如何によつて著しくその業績に影響を受けるものであるが、このバスを運転し乗客に接する部門は乗務する運転士および車掌に委ねられており、両者は同一バス内において二人だけで長時間勤務を共にし、しかも長距離区間の定期路線バスないし観光バスに乗務する場合にはその勤務の途中で宿泊を共にせざるをえない特殊な職場環境に置かれていること、これがため右業績は、運転士および車掌等直接担当者の勤務状況によつて左右される程度が他の業種に比し極めて大であり、しかもその勤務は当該運転士および車掌の自律にまつほかはない面が多いところ、一般に年長で勤続年数も比較的長い運転士が中、高等学校卒業直後の数年間勤務するにとどまるのを通例とする若年の女子車掌に対し強い影響力をもつているので、運転士の勤務内容殊にその女子車掌に対する関係については業務運営上格別の配慮をなす必要の存すること、また右のような職場環境の特殊性から男女間の風紀問題が発生し易い機縁が多く、運転士および女子車掌間に不純な関係が生じたときは、それがそのまゝ職場内に持ちこまれて乗務態度にまであらわれ規律を弛緩せしめる虞れがあるため、控訴会社はそのバス事業を正常に運営する必要上運転士および女子車掌間の風紀を維持するよう厳に従業員を戒め、自動車運転士服務必携(乙第九号証)に、職場規律の一項目として「職場内の異性との交際については、特に慎まなければならない」旨摘示して運転士の注意を喚起する等の措置を講じていること、控訴会社の全従業員は約二、〇〇〇名(内、自動車運転士約六二〇名、女子車掌約四二〇名)に達し、そのうち被控訴人および勝山英子の配属された須坂営業区は、定期路線乗合バス約五〇台、全職員一五〇名余、運転士約七〇名、女子車掌約六〇名等をもつて構成されているのであるが、右車掌は平均年令約二〇才で勤続年数が比較的短かく毎春地元の中学校および高等学校卒業者のなかから採用されており、そのうちには現従業員の子女が相当数含まれている関係上、職場規律就中運転士および女子車掌間の風紀が厳正に保持されるべきことに関しては、本人はもとより父兄、教師、現従業員の深く留意するところであつて、殊に若年層についての求人難の傾向が年毎に深まつて来ている最近の情勢から、所要人員の確保のためにも風紀保持の必要性がいよいよ痛感されるようになつたこと、そこで控訴会社は近年風紀問題について一層厳格な態度をもつて臨み宿泊先で同乗の女子車掌に対して不都合の行為した運転士を責めてこれを退職せしめた事例も生じていること、しかるところ女子車掌勝山英子(昭和二一年八月三一日生、中学校卒業直後車掌として採用され、昭和三九年一〇月頃以降控訴会社自動車部須坂営業区に所属した。)の入院手術によつて被控訴人の前記非行が露わになり控訴会社女子従業員等に不安の念を抱かせただけでなく、卒業生を控訴会社に就職させている地元学校の関係職員に控訴会社従業員の風紀に対する不信感を与え、控訴会社の求人に支障を及ぼすべき情勢をも生じたことがいずれも疎明される。被控訴人提出の資料によつては、これに反する疎明ありとなすに足りない。
以上認定の状況の下に考察するに、被控訴人の所為はまさに協約第二八条第五号中に「著しく風紀・秩序を乱して会社の体面を汚し、損害を与えたとき」と規定されてある解雇事由に該当するものといわざるをえない。何故ならば、右第五号の全文は、文理上、控訴会社の従業員が、職場の内外を問わず、破廉恥罪にあたる行為または著しく風紀・秩序を紊す行為をなし、これによつて控訴会社の体面すなわち乗合自動車運送業等を営む企業者としての社会的地位、信用、名誉等を汚し、かつ控訴会社に損害を与えた場合を指称するものと解されるところ、右のような状況の下に、妻子を有し分別ある年輩の運転士たる被控訴人が無責任にも同じ職場に勤務する未成年の女子車掌と長期間にわたり不倫な関係を結んだ挙句同女を妊娠させ、その中絶手術を受けて退職するの止むなきに至らしめた行為は、それ自体すでに控訴会社従業員間の風紀を紊し職場の秩序を破ること著しきものであり、これによつて現に当該女子車掌の退職、女子従業員の不安動揺、求人についての悪影響等を招来したほか、バス事業を経営する控訴会社の企業者としての社会的地位、名誉、信用等を傷つけるとともに多かれ少かれその業務の正常な運営を阻害し、もつて控訴会社に損害を与えたものと認められるからである。元来運転士および女子車掌間の風紀維持はバス事業運営のため経営者として最も留意すべき重要事項であるから、控訴会社が運転士たる被控訴人によつて引き起された本件の如き態様程度の風紀紊乱に対し、事業体の名誉信用を維持し、その正常なる業務の運営を計るうえに到底これを放置しえないものとして協約所定の該当条項を適用し被控訴人を企業の埓外に排除したのは、その立場上まことにやむをえない措置であつたといわざるをえない。これを解雇権の濫用であるとする被控訴人の主張は全く理由がない。
被控訴人は控訴会社の女子従業員の労働条件ないし保護対策の劣悪なことおよび勝山英子の平素の行状にも本件風紀事故発生の一因がある旨主張するけれども、十分な疎明がなく、また仮令そのようなことがあつたとしても、それは被控訴人の職場における立場、事案の態様および惹起した結果等よりみて、被控訴人の負うべき責任を軽減する事由となりえないことは明かである。
四、したがつて被控訴人と控訴会社との間の雇傭関係は解雇によつてすでに消滅し、被控訴人主張の被保全権利についてはその疎明のないことに帰し、保証を立てさせて右疎明を補わせることも相当でないから、被控訴人の本件仮処分申請はこれを却下すべきである。以上と所見を異にする原判決は不当につき到底取消を免れない。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 奥野利一 萩原直三 真船孝允)